長い書き損じ

「あーっ。」と、ね。

恥じろ

826になった

825は昼過ぎに起きたのだけれど、
なんか意外とやる気が出て飯を食ってから大学に行って、(成績を確認した後)図書館でずっとRを回していた。

4時間くらいだろうか

満足感があったけど、そうでもなかった。

20時に図書館が閉まるので、帰宅して飯を食ってから漫画とか読んでた。
GANMAというアプリ(サイト)の「Slide Story」がめちゃくちゃ面白い。
俺が書きたい(描きたい)芸術性やデザイン性や文学性がめちゃくちゃ放り込まれていると思う。

帰ってきてから俺は何やってたんだ

恥じろ

明日は恥じな(827)い一日になってほしい




結局のところ俺はナルシシズムが行き過ぎているんだろう。






自分らしいものと自分らしくないものしか好きじゃない
と、書くとすべてのものが好きみたいで面白いのでこれはふざけて書いただけにすぎないのですが、

つまり、
"自分"らしいものと"自分"の想像できないものが好きだということで、
"自分"は"自分"の"自分"らしさや"個性"を理解はできているんだけど、
自分らしさや個性といったものは、少なくとも"自分"らしさの範疇で描くことができない
ということです。

つまり、
俺みたいなものと俺が想像できないものが好きで
俺は俺の俺らしさとか個性が何なのかは理解できてるんだけど、
本質的な意味で一般的な一人一人の個性だとか自分らしさに意味を感じないので、
それを俺なりに何か表現することはできていない、
となると、
俺は俺が大好きであり、さらに俺らしさというものは想像できないものなので、
俺の中にある俺らしさが垣間見えるようなものはめちゃくちゃ好き。

つまり、
自分らしい文学性やデザイン性を持った自分のブログがめちゃくちゃ好き。







って言ったんですけど、別にここまでの議論は俺らしくもなんともない(というか頭を使わずに"自分"というものを後付けで定義するためにつらつらと書き並べただけ)であった。
詳しく言うと、指の運動をしていただけで中身のない文章だった。

ので、別にこの記事は何も好きじゃないや。

俺がここで言いたかったのは

俺と同じような感性を持った人や作品は大好きなんですが、俺は自分の感性をいまひとつ言葉にできない。
自分の感性を言葉にできていないので、自分の感性自体が自分の理解の範疇を超えていて、それがつまらないはずない。
という側面もあるのかな。

ということが言いたかったのに、勝手に指が、推論を推し進めようとしてしまっただけで、上記のような書き方に僕らしさは何も表現されていない。
かと言ってこの記事全体には「この部分はつまらないのですが」と思いながら指の運動をしてしまっているというおちゃめな僕らしい側面も存在している。

このように僕は自分の自分らしさを綺麗に語ることが苦手なのであるが、"自分"の伝えたい自分らしい部分と綺麗なお話しと諧謔がピッタリ綺麗に表現されているのが「Slide Story」です。
是非読んでみてください。



俺は拙い文章を恥じろ