長い書き損じ

「あーっ。」と、ね。

フリーメイソン

最近の様子ですが、
夏休みに入ってからやったことは家族麻雀と読書とちょっとpythonいじったのと卒論くらいなものです。
フリースタイルダンジョンと家族麻雀しか楽しみがありません。
フリースタイルダンジョンは未だに用事がなければリアタイで観てますし、
先週のある日は16h/day麻雀をしてカモられるなどしています。従姉妹とかの上達が早すぎるし、じいちゃんは第三の眼が開きつつあって普通に負けます。かなしみ。つらみちきん。しんどみちゃん。

この記事を書いている理由はもう一つのアカウントでアンケートを採ったところ、2票中2票が、ブログにやっていることをアウトプットすべき、と主張したからです。
今後ももしかしたら煽られて何か書くかもしれませんが、まあこの記事を読んでわかるようきあまりアウトプットする気がないのでやらないかもしれません。

読んだ本は「情報処理の究極に挑む」という縦書きの本で、あんたが縦書きなんて珍しいね、と親に言われましたがもろ研究に関連するものです。これは以下で述べる情報幾何学の創設者と神経科学の理工系研究者による対談のまとめになっています。刺激(神経の興奮発火)を受けるところが多々ありました。他に読んでいる本は研究分野に関するものをつまみ読みしているような感じです。
あとは大体中間発表があったので研究とスライドづくりしてました。
研究はニューラルネット(狭義の人工知能)を理論的に解析したいというモチベーションでやっていて、単純な順伝播ネットワークについて勉強した後、skip connectionを考察しているところです。
これらのニューラルネット微分可能であることを前提としていて、勾配法を元に学習を行います。語弊を恐れずに言えば、これらについての煩雑なヒューリスティクスに関する理論は存在しますが、体系的であるとか、統一的であるとか、厳密的や数学的である理論はあまり積極的に議論が進んでいないように感じます。
一方で、日本発祥の分野である情報幾何学などを初めとして、多様体上あるいは統計モデルの枠組みでニューラルネットを語る理論が進められつつあります。今後はこれらについての勉強をやりたいと思いつつも、未だ路頭に迷っているのが学部4年の夏というわけです。

また、ニューラルネットをやる以上はプログラミングについてpythonを使えるようになりたいわけですが、その勉強の一環としてtkinterを使いました。
tkinterは気軽にguiアプリケーションを実装できるものですが、テキストウィジェット(複数行のテキスト入力エリア)の設計で少し詰まりました。
テキストエリアはファイルの文章を読み書きするのには向いているようですが、複数行の文書を入力データとして受け取るのには向いていないようで困りました。
(僕がやりたいのは書いた文章をLaTeXソースコードとして吐き出すこと。)
そんで今は試行錯誤中です。
あと、後輩とゼミを行っています。俺のないがしろにしてきた細かな数学の理論を後輩に追わせて、様々な数学の言葉(特に群論多様体論の気持ち)を理解したいと考えています。
それ以外の時間は親戚と麻雀をしているか、ずっとベッドで唸っています。

 

スマホで更新すると続きが見当たらない。

ここからは続きであって読む必要はない。

 

ベッドで唸っている内容についてだが、将来のことについてが多いです。
将来ってなんだー、となっています。
今の僕には大きく分けて三つの進路があって、
修士を出て就職すること、
博士を出て就職すること、
博士を出て研究者を志すこと、
があります。

それぞれ一長一短です。
最近の物事の指標にあるのは
楽しさ、
時間、
金、
の三つで、自分でも何を求めてるのか最近よくわかりません。
金はあるに越したことはないのですが、できるだけ自由な心と時間を持っていたいし、楽しくない仕事や楽しみのない人生は送りたくないと考えています。
しかしこれにはいくつかの難題が存在していて、
例えば、楽しくない仕事を長期に渡ってできないとか、(主にプログラミングにおいて)形式に従った作業ができないとか、数学が得意じゃないとか、彼女や奥さんができたらどうするかとか、

とりあえず修士卒で就職してお金貯まってから考えるか、とか
どうせ金が必要なら今のうちに何とかして金貯めるか、とか
どうせ楽しいことがないと生きていけないんだから楽しいことだけやって食っていくか、とか
どうせ時間がないと楽しいこともできないんだからとりあえず博士行くか、とか

俺が今何をやりたくて何をやりたくないのかよくわからないし、とりあえず就職というのもよくわからないし、なんだかもう何もわからない!
となっている

一つ思うことは、一緒に何かをやる仲間(ここでいう何かというのは人生の根幹に関わるもの、例えばバンドとか楽曲制作とか合同誌製作とか会社立ち上げるとか、生きるのに必須ではないけど生きるモチベーションになるような何かをする仲間)が必要かもしれないと深く思っていて、俺には研究にしろ遊びにしろ何もそういう人が今のところいない。
ビジョンを共有できる人がいない(いや、できる人はいるけどしている人やすべき人がいない)からすごくさみしいんだろうな、ということがわかってしまった。
だから何かを誰かとしたい。

それは何でも良くて、例えば、年収1000万レースだとか、財産1億レースだとか、働かずに生きる価値観の共有だとか、データ分析コンペで競い合うとか、哲学観を語り合うだとか、結婚生活を送るだとか、音楽活動や美術活動だとか、人工知能研究だとか、アイドルと結婚したい!だとか、無な活動行うだとか、
そう言ったビジョンや価値観やモチベーションや目標や活動や気持ちや想いを共有できる人が仲間が人間には(特に僕のような弱い人間には)必要なのであると思う。
あるいは恋人が。

そうしないと、ウサギのように死んでしまう。と思う。
し、効率的な働きが鈍る。
ベッドで唸る。時間ばかり増えてしまって困る。弱る。滞る。

あなたが人前で死にたい殺したいと言わないように、人前で布団にくるまって泣き叫ぶ人は少なく(そのような人は早く病院に行ったほうが良い)、誰かと共に何かをするという行動による脳内麻薬の量は尋常ではなくて、それはベッドにうずくまりたくなるような惨状(現状である)から目を上手く背ける効果があったり、必ずしも性愛や性的欲求の充足を求める必要がなくなったり、種々の苦痛(就活や就職や就業、あるいは人生とそれら)を堪えかねなくする。
これは、アイドルへの信仰(偶像崇拝の意味であるが)とは一線を画しているものであって、信仰と狂乱は明らかに違い、仲間との活躍は後者の活力である。

赤信号はみんなで渡れば怖くないし、誰かが渡り始めたら何人か渡ってしまうものだ。あなたも危険度の低い車通りの少ない田舎ならそうする。
(健全でない日本人にはわからないかもしれないが、健全な日本人であればこれは快く納得できることであろう。)

 

例えば、テロを起こして自爆しなかったら逃げ場がないので、自爆するのは合理的である。それはあたかもあなたが奥さんを愛したまま死にたいように。
一方で、テロではなくてデモでも死ぬ人がいるだろうか、いや、あんまりいない。
それは責任の分散であるとか、集団による判断力の低下とか、いくらでも理由づけができるが、まあ、ノリである。

ノらないで人生をクリアできる気がしない。僕は22歳だが、こつこつと22歳になった、と言えるわけがない。
何か気がついたらのらりくらりと22歳になっていた。運命で。
じゃあ運命を示してくれる気がする何かの根拠として「なんかみんな(仲間)がやってるから。」というのは大事で強力なモチベーションだと思う。

斜に構えて一人でやれる人はそうしてください。
僕にはもうそんな強さは残されていない。
性格の悪い三個下の従姉妹に麻雀中、棘しかない煽りを受けて悲しくなってしまうようなメンタルしかない。

だから何か一緒にできる仲間が欲しい。でも、俺のことが好きな人も俺が好きな人も何も持っていない(あるいは持ちすぎている)。だから、葉っぱ吸ったりドルオタになったり頭を空っぽにしたりTwitterにずっといたりパチンコで有り金溶かしたり前科付けたりネトストしたりすることで、そういう狂乱するフリをするしかない奴等しかいない。フリじゃない奴はカッケエよ。

俺だってロバストな信仰対象を見つけたいし、一人でだって狂乱したい。

左翼だか右翼だかしらないが、さりんでもみりんでもなんでも撒いてやる、やりたいとは思っているけど俺には坐禅しかできない

 

 

俺だってフリーターがやりてえ。
けど目出度くも愛でたくもそれを許されるようにも許せるようにも育ってきてないらしい。
俺は深層学習をやっているが、そうやって、まだまだ若いからと学習するフリをしているが、内心はガクガク震えてブラックにboxingしている、

 

何か奇跡が起きるんじゃねえか、目が覚めたら5兆円くらいあるんじゃねえか、身体が浮くんじゃねえか、って、毎夜毎晩瞑想しているフリしている、

 

万歳

こんにちは。

最近充実していて心が満杯です。



最近人と飲む機会とかが多いんですけど、まあ大概僕は下っ端なんですよね。
大体飲むのは先輩や社会人の方や先生。

僕は中学高校の六年間でほとんど上下関係のない社会に属していました。高校なんてもはや社会性が無。
大学に入ってから良いサークルに入りましたけど、たまーに上下関係がある程度で、ゆるいサークルでした(その意味でも居心地が良かった)。



そうなって、最近になって考えるわけですが、「俺に先輩という概念が存在していない」特に体育会系的な。
ということ、。
体育会系のウェーイなノリに付いていけないどころか、体育会系が社会で評価されている理由である礼儀作法や上下関係が、俺には皆無。




研究室に所属することになって、先輩がいるんですよね。
理系らしい優しい先輩が。
そうなると上下関係とかあんまりなくて、居心地が良いんですよ。
ただ、体育会系に生涯属しているみたいな人と関わることもなくはない。

そうなって、後から気付いたんですけど、僕にはその人の顔色を伺うことしかできない、その人に場の振る舞いを掌握されている、わけ。


理由は簡単で、僕ちゃんは自意識の塊なので、下手なことして貶されてプライドポイントを失いたくない。こわい。

城に居座って威張りちらしていていたい。下克上はめんどくさいからしない。かと言って下々の城人(しろうど)達にあーしろこーしろ言うのもちがう。
伸びしろ大量に余らせたまんまで牙城の我が城に居座って、あくまで誰かに配下にはつかずにどっちつかずな同盟を結びつつの持ちつ持たれつしたい次第。


そうなって、久しぶりなのか初めてなのか、下々の城はすべて領主の配下に治まれいと言わん者出ったわけで、その場をやり過ごすしか僕にはできない。

そうなって、じゃあ僕は先輩に対しては不戦敗な態度を取ってきていて、他の人にどう接していたのか?





先輩
後輩
友達
家族



大きく分けたらこのくらいしか思い付かないけど俺にはこの位があれば十分で、
体育会系の先輩には何も感じない、というかマナーや礼儀作法の強制に意味を見出すことに大きな価値を見出せない。日出る国日本?知らんがな
古き良き慣習がどうとか先輩の監修とか観衆とか、そう言ったことはここで語るのもめんどくさいくらいめんどくさいくらいで。
先輩に対して必要なのはrespectで、あとは自分のperspectiveだと思う。知らんけど。

何も考えてないならへこへこ頭ヘコまされてれば良いけど、俺は黙ってそんなことできる程の頭の良さはなかった。


そうやって、先輩に求めてるのは尊敬できるような何かであって、そういう人と会って僕が思うのは「一緒に仕事したい!」なわけで。
だってすごい人と一緒にいてすごいなーすごいなーって言うだけなら映画でもエッセイでも良いし似非リスペクトでは?
何かしたいと思うのは自然に説く摂理では?

後輩もそう。
優秀で良い後輩はモテるし、リスペクトが持てるし保てる。
面白い後輩もいるけど、(ただ一緒にいて)面白い後輩っていうのは年下の友達と一緒だと思う。
(そういうわけで一緒にいるだけで面白い後輩もあまりいない。)
そういう面白い楽しい後輩ってどうですか?いや、純粋にリスペクトのもてない後輩って、卒業して関わり途切れますよね。
あるいは「付き合い」、でしか付き合いないですよねーたぶん。

友達もそう。
友達って大体は代替可能なんですよ。リスペクトを持てる奴は「一緒に仕事したい!」同僚だと思えるけど、楽しいだけの奴って馬鹿な奴ってどこの誰でも同じで、人との関わりが楽しい!って言うならそれは近所の爺ちゃんとか旅行先の初対面の人とかでも同じかそれ以上に楽しくてかつ有意義ですよね。
あなたの周りにリスペクトのない友達ってどのくらいいますかね?本当に必要ですかね?あなたは代替可能って思われてませんかね?

家族もそう。
家族は契約を施された友達とかわらないです。血の繋がりは大切だし唯一だしすごい強い束縛で“契約”です。
要るかと言われたら絶対に要るし、代わりはいるかと言われたら絶対にいないけど、代わりは要るかと言われたら代わりがあっても良いですよね。離婚とか養子とか、結局は本当に愛してくれる関係がまずありき。それは家族からやさぐれて出会う兄貴分でも姉貴分でも代替可能な馬力かエネルギー。そんな血糊みたいな血とノリに騙されちゃだめ。

何も考えてないならただ与えられた愛を愛してれば良いけど、僕は黙ってそんなことできる程頭の良さはなかった。


家族や友達の温かみっていうのも代替可能エネルギーだと思う。(代替可能性は人によって異なるけれど。)
枕抱きかかえてアイドルのヒットソングをヘビロテするとか、
夜な夜なピカピカスマホ光らせてに目をギラつかせて、充電器を抜き差し差し抜きしてCPUとバッテリー、パンパンにするとか、
自分の中の熱い何かでも自分の外の熱い何かでも、温かみと同様のエネルギーは生み出されて、愛の供給源と供給先は人によりマチマチ。
アイドルを一生推すオタクは雄ではなくなったけれど、僕のいう人間の本質を体現してくれるガチの人間たちだ88888(パチパチパチパチパチ)

そうなって、結局のところ人なんて何を考えてるかわからない。
信用も愛も人情もそんなものは理想でしかなくて、結局信じられるのはその人の持つものと自分のリスペクトだけだと思う。

僕がこうやって非常に非情な非常識であるのを非道とかどうとか言ったって、それは一つの上手い生き方ができているあなたがいるだけであって、それは素晴らしいあなたの立証に他ならないから、俺を貶し否定していくことは正しいんですよ。
そんな単純なあなたに僕がリスペクトを保てるかはわからないけど。

結局優しい読者だと僕はあなたを思っていたのに、これを読んで掌返ししてしまったりする人間は至極信頼ができないし、あなたの持つ人情なんて簡単に代替可能だってこと。
あなたが何も考えない頭の良い人間ではあることに異論はないですが、それによって僕の周りから代替可能な友達が減って、何も想うことはない。ただ濡れた枕を抱きかかえてヒップホップをヘビロテするとか、するだけです。

俺の常識は遺伝子組み替えでもして代替してくれなきゃ、治らない気がする。

あなたたちみたいな頭の良さがあれば治験所で外国人と流暢に話し、初対面の人とも仲良くゲームや地元の話で盛り上がれるだろうし、飲み会でも騒げて幸せな高校、大学生活を送って順調に悩んで順調に苦しんで結婚して順調に幸せな人生を築いていくだろう

そうやって、僕はそういうことに気付いてしまって、そういう人と関わり始めたところで俺の人生の遺伝子は何の影響もないし、無理に先輩のような人たちに併せて頑張ったって、その時点で大きな差が付いてて不戦敗で。
そういう人と関わる必要のない人生というものを、築いて気付いて傷ついてきたんだよ

僕は今までそういう、攻撃力の高い人と接してこない人生だったから、邪魔無く高く強く考え抜いて練り上げられた自意識は饅頭みたいな形で、人からの親しみやすさが溢れている(PROG調べ)。でもその中にある俺の本質の餡は研ぎ澄まされていて酷く尖っていて、まるで針の入った饅頭のように、ギザギザのハートのようになっている。でもその針の向く先は誰を攻めるでもなく自分の熱い中心に向けられていて勝手に自分を守るために自分を突き刺して傷つけたりして成長を促してきた。

Twitterで針饅頭を試食してもらってるかと思うけど、つまり、このポエムブログは、包丁みたいなお前が切って針饅頭の中身を開くようなブログで。

突き詰めたところ僕にある関係は
リスペクトのある部下
リスペクトのある仕事仲間
リスペクトのある仕事相手
リスペクトのある上司
リスペクトのない人
だと思う

こんなブログここまで読んでくれる包丁みたいな危ないお前やお前やお前はきっとこの針饅頭を切って食って消化してくれる同類だろうから、そんな感じの同僚(仕事仲間)がいればいい



そうやって、間違ってようがなんだろうが何回でも何回でも嫌なことは旋回して逃げて、千回でも万回でも先輩から不戦敗を取っていく。
そんな頭の悪いなりのやり方でやっていく。


そうやって、挽回し満配してやっていった俺の人生が満開してくれる気はあんまないけど。

まあ下向いて万歳した

みんなのPython(第3版)を読んで

こんにちは。

前にブログに書いたように
jumffff.hatenablog.com
Pythonのお勉強をしています。(治験中に。)

色々何をやるか悩んだりグダグダしたりもしたのですが、みんなのPython(第3版)をとりあえず一周読み切ったので、
その所感とPythonについて軽くまとめたいと思います。

ただ、この記事はあくまでpdfにまとめてサークルで後輩に布教する目的と、今後ポートフォリオサイトを作った際のアフィリエイト記事目的の叩き台としての意味合いが強いので結構ザックリしてるかもしれませんが、ご了承ください。
省略できる箇所についてはガンガン省略していきます。箇条書き大好き

何故Python

何故僕がPythonを勉強しようと思ったのか。について。

  • R以外の言語を扱いたくなった(扱えないといけないと思った)

  • 機械学習人工知能についての豊富なライブラリがある
  • 最近アツいらしい(実用・実務的にもやる意義がありそう)

Rは言語と言っていいのか怪しいという意見もありますが、そのような理由で他の言語を使いたくなりました。
勿論Rだってそんなに慣れていませんし、機械学習人工知能をやるためにRもPythonも必要だと思うのでやろうと思いました。
詳しくは上にある記事でも書いてあると思うので省略します。

何故「みんなのPython(第3版)」?

何故この本を選んだのか。について。

いくつか理由はあるのですが、Pythonを学ぶにあたって僕が本選びで重視した点、注目した点、この本でいいと思った点、などを挙げます。

  • Pythonの内容が基礎的なところから網羅されている

これは全くの素人だったので必要でした。やりたいことが具体的なので網羅的な学習をしたら実際にガリガリコーディングして勉強すればいいと思っていたのでとりあえず基礎を身につけたかったです。

  • 演習問題がある

これは少し前の記事で書いたかもしれませんが、プログラミングを勉強する上で演習問題の存在は重要だと思います。
それは基礎的なことをいちいち理解して暗記するのは向いていないし、プログラミングを行う上で不必要だと思うからです。
勿論基本の構文や関数は理解しておかなければなりませんが、やりたいことが明確なので、それをプログラミングするためにリファレンスでも読み漁りながらやればいいと思いました。
なので、「章末の演習問題を解くことを想定して、章の内容を流し読みしてあとから見返す」という勉強法ができる本を求めていました。
これについては後述するのですが、演習問題自体はそんなに充実していなかったですが勉強は充実しました。

  • Python2とPython3についてよくわからなかった(ので調べられる本が必要だった)

Pythonには2系と3系があります。
そして後方互換性がないことが知られています。
「3系に対応していないライブラリがたくさんあるから使うなら2系!」
「そのうちみんな対応するから使うなら3系!」
など根拠のよくわからない(知識のない僕には理解できない)主張が飛び交っている状態でした。
なので具体的に2系と3系ではどこが異なるのか勉強することができる本が必要でした。
もう一つ、個人的に新しいものを学ぶべきだと考えていたので3系を学びつつ、「3系は良いのか」「2系と違うところは何か」「注意点」などを書いてくれている本が必要でした。みんなのPython(3版、4班)は3系に対応しており注意点も書かれています。

読み終えた僕の意見としては(何か特別な理由がない限り)絶対3系をやるべきです

  • 大学の図書館にあった

いわずもがな(ちなみに4版はなかった)

  • 検索したら結構オススメされてた
  • なんかWebアプリケーションもつくれるらしい

基礎を勉強しただけじゃなんだかよくわからないけど、実際に何かを設計したりすること(簡単だけど)の章があった

pythonを学ぶ以上、「Pythonは何を目的としているどのような言語なのか」とか、またそれを知るために手っ取り早い「Pythonはこういう思想があって設計された」みたいなことがわかりたいと思っていました。
また、聞いたことはあるけど(数理科学科の自分には全くの勉強不足理解不足であった)オブジェクト指向についてしっかり説明してありそうだったのでみんなのPythonは良かったです。

  • パッと見で読みやすそうだった

基礎なんてサッサと終わらせたいという気持ちがあったので、どこかのレビューで「優秀な人は3日で読み終える」と言われていたこの本はベストでした。
実際には僕はめちゃくちゃ時間に余裕がある環境で、あまり集中力は保てなくても、1週間程度で終わりました。
ページ数は多いのでむしろ達成感があっていいです。(何もしてない気がしてたけどいつの間にか今日は50p読んでやったぜへへへ、みたいな)


こんなところでしょうか。

ついでにデメリットを挙げておくと、Amazonのレビューにもあるように誤植がめちゃくちゃ多いです。
ですが、ぶっちゃけそんなの気にならないので良いです。証明が間違ってるとか数式が間違ってるとかに比べたら些細なもんです。

もう一つ、プログラムのソースコードが少なく、ほとんどがシェル上での実行でした。
ですが、読み終えての感想ですが、思想が十分すぎる程伝わる本でした。
エンジニアとして他の言語にすでに親しんでいる人がPythonやりたいなー、どんな言語なのかなー、と思って読むには十分だと思います
(プログラミング経験なんて十分にあるからわざわざPythonのコーディングや出力なんて見なくてもいいでしょう、見たいなら自分で書けよ)。
数学系など理論系の学生など、分け合ってPythonに触れる必要があり、プログラミングの知識がほぼほぼ皆無である人にも十分だと思います。
むしろコードの結果なんかよりも"Pythonの気持ち"やオブジェクト指向を理解できることのほうがよっぽど意味があって効果的だと(結果論ですが)思いました。
これが先ほど言った演習問題の意味そんなになかったけど別に良かった、の真意です。

なので、みんなのPythonPythonの入門書だけでなくプログラム(オブジェクト指向)の入門書にばっちりだと思います。
更にいうと関数型プログラミングの性質も持ってはいる(し、みんPyで少し解説してくれている)ので、他の関数型言語などにも移行しやすく思います。
上手く説明できないですが、「オブジェクト指向」という一つの考え方を理解しておけば他の考え方にも馴染みやすいみたいなことです。
なんて言ったってどうせ数日で終わるので。

教育用言語と言われてるだけあります。何ならCより先にやるべきでは?

何故3版?

ずばり、これしか図書館になかったからです。

でも、色々なレビューを読むと3版で良かったかな(4版も復習がてら読めば良いかな)、と思えます。

2版以前は2系なので割愛。

3版は作りが上手くて、初めから理解を深めつつ読み進めていくことで12章でやっと「おい!そういうことだったんかいPython!」となることができます。
たぶんですけど、目次を見る限り4版にこの感動はありません。
(2017/02/27追記)そんなことはないようです。


著者様からお返事いただきました。

一方で4版自体もとても良くて、
著者様のサイトで加筆された項目が明らかになっているし、
最近流行りのデータ解析などに対応しているし、
誤字誤植めっちゃ少ないらしいし、
めっちゃ最近に書かれているし、
更に読みやすいらしいし、というわけでサークルの経費で落としたいぐらいです。

3版で勉強して、4版で復習、が個人的にベストかなーって思ってます。
4版だけでもいいと思いますけどね。まだ4は読んでないのでわかりませんよ。


Pythonについて

ここからPythonについて説明していきたいと思います。



と言いたいところなのですが、僕としては「おい!そういうことだったんかいPython!」となって欲しいんですよね。笑

あと、23時に消灯ということもあり、詳しく書くのは後日自分用にまとめてからにしたいと思います。

ヒント(?)をいくつか挙げておくと、

  • Pythonではすべてがオブジェクト」

です。

よく聞くけど実際よくわかんなかったしネタだろって思ってたんですけど、この文章の意味が理解できるようになればPythonオブジェクト指向もわかってきたのかなって気がします。
僕自身プログラミングは雑魚だしPython歴1週間ぐらいなんで何も言えないんですけど、
Pythonはすべてがオブジェクトってもしかしてそういうこと~~~~~?????????!!!!!!!!!!☆☆☆☆☆☆☆☆
ってなってから劇的に視界が開けた気がします。
オブジェクト指向を理解してる人からしたら当たり前なのかもしれないですけど。

というわけで近いうちにPythonについてまたまとめたいと思います。
基本的なオブジェクトの解説(リファレンスづくり)と、みんPy4版の感想と、基本的な用語の説明と、僕の独自解釈、あたりでしょうか。

僕がアフィリエイトを買ったら是非そこから買ってください。よろしくお願いします。

円周

2月の1日目がもうすぐ終わります

今日は「演習」するってことに納得を覚えた日です。


僕は今まで経験とか練習とかを信じてなかった(というよりも、そんなものに価値を見出していなかった)。

なんでかって言うと、経験とか練習って結局は偶然の産物、みたいなもので、
再現性がない、科学的に無価値だと思ったりしてたのかもしれない。

もちろん、経験や練習の成果が物を言う分野だってそりゃあある。
例えば絵を描いたり、歌を歌ったり、楽器を弾いたり。

でもそういう分野にこそ理論を持ち出して、体系的に人を感動させることができたら、
それは幸せなことじゃないですか?幸せの進化じゃあないですか?
機械的で寂しい冷たい幸せだと思いますか?


いや、寂しくて冷たいのはあなたでしょう。


そうなったら進化した幸せを使って、新たな感動を生むべきでしょう。
だって、経験や練習が正しいって言うんだったら、そういう世界になったときにあなたがすべきことは、
そういう世界で練習して、その経験を活かした感動を生み出すべきでしょう。




って思ってた。
けど、それだけじゃあないんですよ。

例えば、プログラミングって、経験や練習が物を言う分野だと思いませんか?
勿論知識や理論だって重要だと思いますが。

だから僕は知識や理論を学びながら演習してたんですよ。
そしたら、

本持ちながらやるのだるい

んですよね。
だるいんです。

結局一通り演習しちゃって、それから理論や知識を後から付けていったほうが、効率的で意味のあることなんですよね。

なんでかっていうと、プログラミングはプログラムをつくること、実装することに意味があるから。
絵は描くことに意味があるし、歌は歌うことに意味がある。(と思ってる。)

そういう自己表現(など、具体的な目的)のためのツールって、その目的を達成しなくちゃ意味がない。
勿論、人を感動させるために歌うっていうのもあるけど、それは人を感動させる理論や形式に沿って感動させてるんじゃなくて、
自分の想いを相手に伝える(表現する)から、感動させられるんでしょう、って僕は考えています。
(この"考え"っていうのは論理だけど、これは練習や経験を補足するための論理だよ。)

その、意味のための活動を優先するべきで、だから理論だとかあーだとかそういうのは第一じゃないんです。


人工知能って理論とかじゃないんです(語弊はあるけど)。
人間の脳ってほとんど解明されてないんです。


それでも勝手に動いて勝手に生きて勝手に人を感動させてるんだから、そっちが正しいんだと思います。
理論に勝るものもあるんです。

それは、理論よりも優先される意味を持ったモノ、についてなんですよね。


だから僕は悔しいんです。

結局、理論は負け、経験と共存していかなければならない。
そしてそれは意味の下にある、っていうメタ理論を考えて、なんとか反抗しています。



だってそうじゃないと、この20年間論理をずっと追いかけてきて、
実は走ってたのは循環論法の円の上で、
結局正しかったのはそうじゃないってことに、グルっと円周を回ってきて気付いてしまったなんて、つらい。

ひときわ異彩を話す

131です
一月が終わります

今まではブログに書くことがなかったり、ネガティブな感情が出てこなかったり、したのであんまりブログを書いてこなかったが、
健常に生きてみようと試みると案外書くことがでてくるものだ。

一月が終わり、毎年「よし!二月からは頑張るぞ」と言っている気がする。
あまりにも成長がない。

最近の活動として注目すべきことが一つあるとすれば、「休みを取る」ということを理解した、のかもしれない。



今までは肉体または精神または脳がおかしいのでまともに活動していなかった(かもしれない)が、
少なくとも肉体と精神の健康を得ようと試みたことでいろいろなことが精神が好調になっている。
のかもしれない。


何をしているか、と言われれば「休みを取る」ようにした。
「一時間勉強したし10分寝よー」とか、「テスト終わったしバッティングセンター行こうぜ」と誘われるとか(肘が壊れました)。
そういうことをしないと僕は「8時間勉強しなくちゃいけないのに…2時間しかしてない…ああ…」となっていた。のかもしれないので。


メリハリを付けるとか、少しずつでも活動をするとか、そういったことが重要だ。のかもしれない。
少しでも活動していれば何だか精神は少しずつ前を向いていく気がする。
よくわからんけど、人間の脳みそはそういうニューラルネットワークを形成しているらしい。
(そう。今日書きたいのはそういう話だったのだが、もう少しあとで書く。)

だから、おかげで今までは
頭いかれてるぜ~、うひひ~、っていう感じだった感情が、
うーん、脳に異常があるのかもしれないな、困るな、っていう感じになった感情だ。


精神科に行く価値はあったのかもしれないけど、結局カウンセリングで済んでしまう、のかもしれないわけだし、
脳外科まで受診するほどの余裕はない。投資するべきではない。のかもしれないと思っている。のかもしれない。



それで、春休みの予定という記事で話したようにこの春休みは有意義なものにしたい。
だから、今日は「データサイエンティスト養成読本」を読んでいた。
大学がすぐ閉まってしまったこととかもあってあんまり読めていないけど。

データサイエンティストに必要なこととか求められているものとかがいろいろ書いてある。
あんまり読めてないけど。

個人的に一番面白かったのは

サービス開発で行われる「ユーザビリティの向上」は、分析屋が求めている「データの取得機会の損失」につながっているから、この二つは相反していて折衷案を出すのは難しい
という話。

言われてみればそうなんだけれど、実務の身に置かれないものとしては面白いことが書いてあるなーって思います。

でも、データサイエンティストになりたいわけじゃないなって思いました。
技術や知識としてある程度知っておいて損はないと思うけど、僕にそんな偉才はないかなって思います。

大変よくできている

今日はタスクキャッシュをした


・賃貸の会社に退去の連絡
日雇い派遣の会社に退職の連絡
・ネットの会社に引越の連絡
・免許を取りに警察へ
・散髪
・後輩に備品の引き渡し
・捨てる雑誌を整理

とかいろんなことをした
久しぶりに「やった」という気持ちになっている
我ながら健全かつ正常な"活動"が大変よくできた

そう、僕の精神にはこういうつまらないタスクをこなすことが一番向いているのだ

頭の片隅にあったゴミみたいなことを色々済ませた
まだほこりとかは残ってるが、掃いて拭くだけで綺麗にできるだろう

これからブログの整理でもしたい
快適な生活が楽しみで仕方がない


こんなに色んなことを一日でこなせるなんて、人間の一日というものは大変よくできていると感心する
一日一日、できることを少しずつやっていくしかない。


あんまり思いつかないので、無理に面白いことは書かないようにする。

凍死

部屋が寒すぎるので実家に帰ることにした。

今日は起きてからずっと部屋の片づけをしていた気がする。
なんでかって、昨日ブログを書いてから休憩がてら朝までネット麻雀をしていたからだ。
正月に実家で、連日深夜まで家族麻雀をして以来なんか調子が良い。
賭けてやりたい。


部屋の片づけをしていたら、懐かしい遊戯王カードが出てきた。
もうさすがにやらない(理由はいろいろあるけど、他にやりたいことがいっぱいあるし、時間やお金に対して得られる楽しみが少ないからかな。僕が一番楽しいと思うのは意味わからんコンボを眺めてるときなんだけど、それは他のゲームや数学でも同様の楽しみがあるし、駆け引きを味わいたいならもっと駆け引きを味わえるゲームをする。僕はデッキ構築とメタゲームと駆け引きのカードゲームに向いてないんだろう。)
から、カードを売ろうと思って少しめぼしいものをパラパラ見てた。
そしたら、面白い効果のカードで、絶対使い道あるだろう(前述の、意味わからんコンボが今後出てくるだろう)と思って昔1枚100円で3枚買ってたカードが、なんか1000円くらいになってた。
めっちゃ嬉しくて、なんか残念だったけど売ろうと決意した。
他にも好きなカードとかが結構値上がりしてて、今真面目にやったら転売とか楽しそうだろうな、って思った。

僕は投資とか転売とかが結構昔から好きで、現物取引みたいなことで上手く価値を捻出することが好きだった。
株とかは軍資金が要るし、怖いから手を出していないけど、小学生の頃に株が流行ってたから、よく友達と話したりしてた。

で、何が言いたいかっていうと、投資が好きだって書いたけれど実際のところは、
「価値」というものを数字でしか見れない、という人間であって、未来の価値とかを考えるのは苦手なほう。
メタゲームとかも苦手だし。

で、何が言いたいかっていうと、投資が好きだって書いたけれど実際のところは、
目に見える未来の利益を現在の利益としてとらえてしまうバカな人間、ということ。

例えば50円値引きのクーポンが付いている物を買うとき、もう一回来てクーポンを使ってやっと50円値引きなのに、
その場で50円差し引いた価値があると考えて買ってしまったりする。
もう一回来てクーポンを使わなかったら何もお得じゃないのに。
なので損する。
ポイントカードもガンガン貯めて、結局何にも使わなかったりする。
なので損する。

現物取引というのもそうで、例えば100円ショップには100円以上の価値を生み出せる道具がたくさん売ってる。
勿論、自分の使わないもの(例えば、裁縫道具とか)なんかは買っても何の価値もないってわかってるからもちろん買わないけど、
自分が使うかもしれないもの(便利なハンガー、歯間ブラシ、クリップ、など)は期待値的に100円で買っても得をする。
だから買ってしまう。
でも使わない。
なので損する。

そういうことばっかやってるならバカでいいんだけど、中途半端に真面目だから、
「ここはポイントを気にしても無駄だな」とか「ここは手間を考えたら高いほうを選んでも十分メリットがあるな」とか
そういう戦略も持っていて、見事にそれらを使い分けていて、一つに徹底しない。
なので損する。
適当に競馬を買ってる人みたい。投資競馬をすればいいのに。ただのギャンブルだ。
なので損する。



なんか、いろんなところで自分は馬鹿なのではないかと思う。

部屋に机がないから、絶対に机を買ったら便利だけど、家で勉強しない、とか。

こういう反省を通して、それを未来に投資できるような人じゃない。

困っている。

未来の透視が出来たら困らないのに。


こういうのも精神的なところから来ているんだったらさっさと受診してキレイに頑張りたいとも思うけど、
結局は自分の気の持ちようだから、諦めずにやるぞーーー!と闘志を剝きだせばなんとかなるのだろうか。

カウンセリングで言われた、運動(活動)することとタスク管理すること。
どちらも意識的にやれてはいるけれど、なんだか真人間には程遠い気がして悔しい。


愛おしいであろう未来のお嫁さんのために頑張れれば良いのだが。

いと惜しや。