長い書き損じ

「あーっ。」と、ね。

オーエン

せっかく4月に入ったらライフログを付けようと思ったのにもう忘れてしまっていた。
昨日、治験と新入生勧誘会があったからだ。治験の記事も書いてないので昨日の話はそっちに書こうか。



僕は「頑張れ!」って言われても頑張れないでしょう。

たぶん誰に言われても無理でしょうね。
アイドルに言われたところでめっちゃ可愛い人に言われたところでめっちゃ尊敬してる人に言われたところで、
「頑張ります!!!!うおおおお!!!」って言って帰ったら寝てるでしょうね。

理性を突き詰めるために頑張ってるので、頑張ったら感情が息をしないので。ということなのかもしれない。


頑張ることができたら頑張っているし、頑張れないから頑張ろうと頑張ることもできていないのであって、
その原因はどこにあるかというと、それはもうかなり根深いところに存在していることが自ずとわかる。

もしくは目をつぶっている。
脳が隠しているのかもしれない。

なんで頑張れないのか?っていう問いに答えを用意してしまったら、
頑張らないといけないあるいは頑張れる状況に誘われていってしまう。

そういう気持ちがどこかにあるのかもしれない。

「俺も頑張ろう」とつぶやいたときの「俺」は既に俺ではなく俺から昇華されてしまった。
頑張ってしまったら「俺」ではないのかもしれない。


先輩が、理系のクズさを表現する際に「尊い」という表現をしていてとても笑ってしまった。

「理系は朝に弱い、尊い生き物なんだからね…。」
「ぼくらは尊いよ~~~。一番関心のある分野の話を外で許されていないんだから」
「オタクはオタクで集まってこじんまりと生きているからね…。ウェイの集団はどうしても合わないね~~~。尊いね~~~~。」

尊い。
尊すぎる。


リアルから逃げ、連日現実逃避行為をしているわけだが、
そうなってくるとフラストレーションはマスターベーション的なものに吐き出され、またそれに付随する(主にネット状で得られる)幻想によってモチベーションが高められるわけだが、
そのモチベーションの浅はかさと薄っぺらさにすぐに気づいてしまい、些細なこと(友人のFacebookの更新など)で気分が悪くなってしまう。
かと言って、そのような悪い気分をフラストレーションとモチベーションに変換できるかと言われればそうではなくて、結局食欲も性欲も薄れ、髪も薄れ、心も擦り切れ、(もうネタ切れ、)睡眠欲を振り絞らざるを得ない。

「俺」もかなり尊い生き物なんだなあと感じる。

起きて頭だけが働いて、頭を休めるために寝て、そんな生活を百年間ぐらい過ごしてきた。
いや、二十年間かもしれないし、三十秒くらいなのかもしれない。
これから先の四十年間が百八秒しかないわけないという保証はどこにもない。

どうしよう。
やるべきことはたくさんある、と三百年前から言っている。

自分と同じ状況の人はたくさんTwitterで見かけるけど、それでもその人のどこかに自分とは違う部分を見つけて尊敬するし、
自分と同じ部分しか見つからなければ心配してしまう。
自分と違う人を見れば気分は悪くなるし、心に良くない。

体調不良はおそらく生活リズムから来ているものだとわかる。
でも生活リズムを改善しても生活が改善するのかわからない。
俺の人生のピークは治験中だったかもしれない。
もうだめだ。
これ以上文章を書いてまとめようと頑張る気もなくなった。

応援してほしいが、その応援に意味のないことがわかっている。
応援してほしいが、応援される立場でないことがわかっている。


あと一週間と少しで現実から現実に引き戻される。