.jumのart

俺が「あー。」と言うだけ

フリーメイソン

最近の様子ですが、
夏休みに入ってからやったことは家族麻雀と読書とちょっとpythonいじったのと卒論くらいなものです。
フリースタイルダンジョンと家族麻雀しか楽しみがありません。
フリースタイルダンジョンは未だに用事がなければリアタイで観てますし、
先週のある日は16h/day麻雀をしてカモられるなどしています。従姉妹とかの上達が早すぎるし、じいちゃんは第三の眼が開きつつあって普通に負けます。かなしみ。つらみちきん。しんどみちゃん。

この記事を書いている理由はもう一つのアカウントでアンケートを採ったところ、2票中2票が、ブログにやっていることをアウトプットすべき、と主張したからです。
今後ももしかしたら煽られて何か書くかもしれませんが、まあこの記事を読んでわかるようきあまりアウトプットする気がないのでやらないかもしれません。

読んだ本は「情報処理の究極に挑む」という縦書きの本で、あんたが縦書きなんて珍しいね、と親に言われましたがもろ研究に関連するものです。これは以下で述べる情報幾何学の創設者と神経科学の理工系研究者による対談のまとめになっています。刺激(神経の興奮発火)を受けるところが多々ありました。他に読んでいる本は研究分野に関するものをつまみ読みしているような感じです。
あとは大体中間発表があったので研究とスライドづくりしてました。
研究はニューラルネット(狭義の人工知能)を理論的に解析したいというモチベーションでやっていて、単純な順伝播ネットワークについて勉強した後、skip connectionを考察しているところです。
これらのニューラルネット微分可能であることを前提としていて、勾配法を元に学習を行います。語弊を恐れずに言えば、これらについての煩雑なヒューリスティクスに関する理論は存在しますが、体系的であるとか、統一的であるとか、厳密的や数学的である理論はあまり積極的に議論が進んでいないように感じます。
一方で、日本発祥の分野である情報幾何学などを初めとして、多様体上あるいは統計モデルの枠組みでニューラルネットを語る理論が進められつつあります。今後はこれらについての勉強をやりたいと思いつつも、未だ路頭に迷っているのが学部4年の夏というわけです。

また、ニューラルネットをやる以上はプログラミングについてpythonを使えるようになりたいわけですが、その勉強の一環としてtkinterを使いました。
tkinterは気軽にguiアプリケーションを実装できるものですが、テキストウィジェット(複数行のテキスト入力エリア)の設計で少し詰まりました。
テキストエリアはファイルの文章を読み書きするのには向いているようですが、複数行の文書を入力データとして受け取るのには向いていないようで困りました。
(僕がやりたいのは書いた文章をLaTeXソースコードとして吐き出すこと。)
そんで今は試行錯誤中です。
あと、後輩とゼミを行っています。俺のないがしろにしてきた細かな数学の理論を後輩に追わせて、様々な数学の言葉(特に群論多様体論の気持ち)を理解したいと考えています。
それ以外の時間は親戚と麻雀をしているか、ずっとベッドで唸っています。

 

スマホで更新すると続きが見当たらない。

ここからは続きであって読む必要はない。

 

ベッドで唸っている内容についてだが、将来のことについてが多いです。
将来ってなんだー、となっています。
今の僕には大きく分けて三つの進路があって、
修士を出て就職すること、
博士を出て就職すること、
博士を出て研究者を志すこと、
があります。

それぞれ一長一短です。
最近の物事の指標にあるのは
楽しさ、
時間、
金、
の三つで、自分でも何を求めてるのか最近よくわかりません。
金はあるに越したことはないのですが、できるだけ自由な心と時間を持っていたいし、楽しくない仕事や楽しみのない人生は送りたくないと考えています。
しかしこれにはいくつかの難題が存在していて、
例えば、楽しくない仕事を長期に渡ってできないとか、(主にプログラミングにおいて)形式に従った作業ができないとか、数学が得意じゃないとか、彼女や奥さんができたらどうするかとか、

とりあえず修士卒で就職してお金貯まってから考えるか、とか
どうせ金が必要なら今のうちに何とかして金貯めるか、とか
どうせ楽しいことがないと生きていけないんだから楽しいことだけやって食っていくか、とか
どうせ時間がないと楽しいこともできないんだからとりあえず博士行くか、とか

俺が今何をやりたくて何をやりたくないのかよくわからないし、とりあえず就職というのもよくわからないし、なんだかもう何もわからない!
となっている

一つ思うことは、一緒に何かをやる仲間(ここでいう何かというのは人生の根幹に関わるもの、例えばバンドとか楽曲制作とか合同誌製作とか会社立ち上げるとか、生きるのに必須ではないけど生きるモチベーションになるような何かをする仲間)が必要かもしれないと深く思っていて、俺には研究にしろ遊びにしろ何もそういう人が今のところいない。
ビジョンを共有できる人がいない(いや、できる人はいるけどしている人やすべき人がいない)からすごくさみしいんだろうな、ということがわかってしまった。
だから何かを誰かとしたい。

それは何でも良くて、例えば、年収1000万レースだとか、財産1億レースだとか、働かずに生きる価値観の共有だとか、データ分析コンペで競い合うとか、哲学観を語り合うだとか、結婚生活を送るだとか、音楽活動や美術活動だとか、人工知能研究だとか、アイドルと結婚したい!だとか、無な活動行うだとか、
そう言ったビジョンや価値観やモチベーションや目標や活動や気持ちや想いを共有できる人が仲間が人間には(特に僕のような弱い人間には)必要なのであると思う。
あるいは恋人が。

そうしないと、ウサギのように死んでしまう。と思う。
し、効率的な働きが鈍る。
ベッドで唸る。時間ばかり増えてしまって困る。弱る。滞る。

あなたが人前で死にたい殺したいと言わないように、人前で布団にくるまって泣き叫ぶ人は少なく(そのような人は早く病院に行ったほうが良い)、誰かと共に何かをするという行動による脳内麻薬の量は尋常ではなくて、それはベッドにうずくまりたくなるような惨状(現状である)から目を上手く背ける効果があったり、必ずしも性愛や性的欲求の充足を求める必要がなくなったり、種々の苦痛(就活や就職や就業、あるいは人生とそれら)を堪えかねなくする。
これは、アイドルへの信仰(偶像崇拝の意味であるが)とは一線を画しているものであって、信仰と狂乱は明らかに違い、仲間との活躍は後者の活力である。

赤信号はみんなで渡れば怖くないし、誰かが渡り始めたら何人か渡ってしまうものだ。あなたも危険度の低い車通りの少ない田舎ならそうする。
(健全でない日本人にはわからないかもしれないが、健全な日本人であればこれは快く納得できることであろう。)

 

例えば、テロを起こして自爆しなかったら逃げ場がないので、自爆するのは合理的である。それはあたかもあなたが奥さんを愛したまま死にたいように。
一方で、テロではなくてデモでも死ぬ人がいるだろうか、いや、あんまりいない。
それは責任の分散であるとか、集団による判断力の低下とか、いくらでも理由づけができるが、まあ、ノリである。

ノらないで人生をクリアできる気がしない。僕は22歳だが、こつこつと22歳になった、と言えるわけがない。
何か気がついたらのらりくらりと22歳になっていた。運命で。
じゃあ運命を示してくれる気がする何かの根拠として「なんかみんな(仲間)がやってるから。」というのは大事で強力なモチベーションだと思う。

斜に構えて一人でやれる人はそうしてください。
僕にはもうそんな強さは残されていない。
性格の悪い三個下の従姉妹に麻雀中、棘しかない煽りを受けて悲しくなってしまうようなメンタルしかない。

だから何か一緒にできる仲間が欲しい。でも、俺のことが好きな人も俺が好きな人も何も持っていない(あるいは持ちすぎている)。だから、葉っぱ吸ったりドルオタになったり頭を空っぽにしたりTwitterにずっといたりパチンコで有り金溶かしたり前科付けたりネトストしたりすることで、そういう狂乱するフリをするしかない奴等しかいない。フリじゃない奴はカッケエよ。

俺だってロバストな信仰対象を見つけたいし、一人でだって狂乱したい。

左翼だか右翼だかしらないが、さりんでもみりんでもなんでも撒いてやる、やりたいとは思っているけど俺には坐禅しかできない

 

 

俺だってフリーターがやりてえ。
けど目出度くも愛でたくもそれを許されるようにも許せるようにも育ってきてないらしい。
俺は深層学習をやっているが、そうやって、まだまだ若いからと学習するフリをしているが、内心はガクガク震えてブラックにboxingしている、

 

何か奇跡が起きるんじゃねえか、目が覚めたら5兆円くらいあるんじゃねえか、身体が浮くんじゃねえか、って、毎夜毎晩瞑想しているフリしている、