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.jumのart

俺が「あー。」と言うだけ

やじるし

8/14になっているので8/13のことを書きます。
遂に日付の語呂合わせが思い付かなくて無理矢理になった。「や(8)じるし(14)」

友達のライブに行ってきました。
200人動員だそうな。スゲー。

めっちゃ楽しかったし、色んな人と会えて面白かった。
音楽も何もやっていない自分の「つながり」がめっちゃウケるし恥ずかしい。

オーガナイザーにも言いましたけど、人数めっちゃ多いのにまとまってて、個性が出ているのはすごいなーと思いました。
あと、やっぱり何をやるにも特徴がないと意味がないと思ってる自分にとって、キーボード二台体制とパーカスとドラムの二台体制なんかはすごいカッコよくて、それらがボーカルを引き出してるのが良い音楽を産んでるんだろうなあと思って聴いていました。
もちろん、ギターやベースもそれに負けない技術あってのことだと思います。
ボーカル4人ないし5人(+2人)っていうのも意味わからないし結構好き。

そして、インスト好きの自分としては一人一人の音源も聴きたいです。
このブログを見ているかはわかりませんが、頑張ってください。


めっちゃ楽しかったし盛り上がった。
前のほういたし(この顔に生気のない私が)。

なんだけど、なんか、よくわからなかった。
楽しいんだけど、今までの自分で楽しめてるのかはわからなくて、楽しむために楽しんでいるのではないかと思った。

楽しんだほうが得で、楽しんだほうが正しいから楽しんでおくために楽しんでいるのではないか、という疑問が生まれた。

最近自分は妙に人間らしくて、(道端とかではしないけど、)ゴミ拾ったり、挨拶したり、おばあさんとの立ち話に花を咲かせたり、実家にお土産を買ったり(昔は修学旅行などでも何も買わなかった)、友達と遊んだり、散歩したり、遠くまででかけたり。

なんか、意味わからなくて、厭世観はどうした。みたいな。

ライブ楽しむのって、楽しいなら普通なんだけど、エネルギーも使うし、テンションも上がるし、疲れる。
昔の自分ならこういうのって無くて、実際「(前に行ってるなんて)どうしたの」と言われた。

これは良い傾向なのかもしれないんだけれど、素直に喜べなくて、なんか自分意味わからない。
(文章もずっと意味不明ですみません)

非現実感がすごい。

自分じゃない何かが自分の中に入っているような感じ。道化。

生きてて楽しいんだか楽しくないんだかわからないし、本当にしたいことやりたいこと本当の気持ちがどこにあるんだかわからない。


親や知り合いに、「じゅんぺーは優しくて面倒見の良い人だ。真面目で責任感がある」と言われる。
確かにそういった一面はあるかもしれない。でも、優しくて面倒見の良いことや真面目で責任感があることに意味やメリットを感じていない自分がいる。
できる限りそのようなことは忘れて、俗世を捨てて生きていきたい。そういった自分が嫌いではないが、そういった自分の存在意義を感じていない。
でも、それでいて人に優しくしてしまう。

人生に冷たく、人(というか現実)に無関心であるから、何でも許せている自分がいるのに、その許しの延長に優しさが生まれてしまって、元々の予定とは違い温かさを生み出してしまっているかのようなジレンマ。

こういった自己矛盾の結末として、今回のような、楽しみたいのか楽しみたくないのかという疑問が生まれ、結局自分はどこにいるのかわからない状況に陥っている。

中二病とか妄想だとか、一時の気の迷いであればいいんだけど、今までに感じたことのないような浮遊感に包まれていて、
とても怖い(怖いとは言っているが、プラスのイメージもマイナスのイメージもなく、怖いのか何なのかわからない)。

ふわふわしている。
このままどこかに飛ばされてしまいそうな、そんな感じがする。

何か、やじるしが欲しい。
けれど、そのやじるしに従っている自分も従わない自分もふわふわしてしまう気がするし、
何かもっと、人間性や「自分」性を超越した、何かのやじるしが欲しい。(そんなものない。)