長い書き損じ

「あーっ。」と、ね。

きょ

昨日までの「ぎょ」な充実した生活とは打って変わって、今日は珍しく朝13時から読書をしていた。

割かし順調であった気がしたのに、悲しい気持ちがやってきたのでブログで鬱憤を晴らす。


日常的なことを言えば、昨日は学科オリエンテーションがありそこでサークルのプレゼンをした。
かなりの人数の人が聞いてくれなかったが、そもそも少人数でやっているサークルなので興味を持ってくれた人が十数人いてくれただけでも良しとしよう。
というか良かったことにする。

あと、明後日から授業が始まってしまう。
某氏に倣ってその日学んだことでも書き記していこう。これは大学に行くモチベになる。


数学をやっていて(というかやろうとしていてその準備中に)「俺は数学なんて向いてないんじゃないか」と良く思う。
やりたい数学の分野という分野はあって、それだけやろうかとも思っている。
何故かと言われれば自分は広義の数学が好きな人ではないからである。

一方である程度広い分野についての知識は得ておきたいという気持ちもある。
そこがとてもせめぎあっている。

今自分がやりたいことは複雑系で、それについての勉強なら今すぐにでも始められそうなのだが、そのために復習をしようとなると
折角なのでもっと色々復習すべきだししていないとだめだ、となって取り掛かりたくなってしまう。

でも、今やる気を出して数学の諸分野をまとめて復習できるほどのやる気は、複雑系がやりたい、というモチベーションの中にはなくて、
何も進めない。

じゃあ複雑系とか、自分が数学をしていって何がしたいのかというと、今のところは研究をしたい。
それもかなり軽めの研究をいっぱいしたい。

でもそれって何になるかと言われれば趣味の範疇でしかなくて、大学院に進み、研究者としてやっていけるほどの研究意欲があるかと言われればそうではない。

確かに、生涯をかけて研究してみたいこともないわけではないが、今研究したいと思っていることは少なくともそうではなくて、
仮に生涯かけて研究したいことがあるならば、修士までの6年間である程度の方向性を決めてそのような研究方面の博士課程に進む、
ということを思えばとりあえずいける大学院の修士に行くのは悪い選択ではない。
もちろん、一生研究者としてやっていかなくても修士までで自分のやりたいことをやりきって社会に出ていく道もあるのだから、
とりあえず自分が今修士を考えていることはそこまで何か問題があるわけではないと自負している。


元々ブログには
「数学で何をしたいのかを突き詰めると趣味の範疇でしかないからそのために研究者にはなれないと思い、結局社畜のつまらない人生になってしまうなら今数学を頑張る必要はなくて趣味と芸術に向き合うべきなのではないか」
結局人生なんて
「やりたいことをやる」そのために「生きる」そのために「金を稼ぐ」
ということがすべての真理だと思っている(これ以外のことで生きるという行為を肯定する価値観がまだないので求めている)から、
数学をするのかしないのか、大学院に行くのか行かないのか、なんていう悩みは、
やりたいことだけやれという立場に立ってしまえば本質的でない。
だから自分の今の悲しい気持ちや悩みといったものは「虚」でしかないのだ。きょえ~~。


というオチを書こうと思っていたが、芸術の研究をすることにいたっては趣味の範疇ではないしそのための研究者になってもいいかなと思えるほどである。
というか研究したいことが多岐に渡りすぎて、俺が大学院出たらどうすればいいか、みたいなことを大学院で研究する選択肢まである。
と思えてきた。

そう思うと、自分が今そこまで思い悩む必要もなく感じてきた。

ブログに書きたかったオチすら書く必要がなくなってしまったわけで、虚から生まれた悩みが虚に還ってしまったような感覚だ。

なんだかんだ言ってアウトプットすることは重要なんだと思える。
数学の練習や慣れだって必要なことなのに、そういったことをいつも毛嫌いしている。
身体に染み込ませることが本当の意味での理解なのだろうか。もしそうなら僕は今すぐに消えたほうが、僕とその周りの社会のために宜しい。
頭だけで理解していくことにも意味はあると猪突妄信している。



なんだかぎょっとしたので勉強する。